キエスタ ブログ

2026-02-16 23:35:00

シュタイナーの著作を読むこと

シュタイナーを学べば学ぶほど、世界の真実、さらには宇宙の真理をもっともっと知りたくなる。
シュタイナーから促される探求心はとめどもない。
シュタイナーを通して世界の、そして宇宙の全てを学ぶことができる。
シュタイナー帰天100年の2025年度はシュタイナーの著作を改めて30冊以上熟読したが、全ての著作が有機的に関連し合って、読めば読むほど、シュタイナーの言わんとしていた世界と宇宙に関して理解が深まることが体感された。
そしてシュタイナーの著作群は全て、霊界の認識へと読む人の魂を誘う。
それらは単なる知識ではなくて、読む人の魂を霊的認識へと導く瞑想的な道程となる。
この時代に生きている人たちがシュタイナーの著作に出逢わないとしたら何という不幸だろう、とさえ思てしまう。
2026-02-16 11:14:00

心の傷と身体症状

人間の身体は21歳前後まで自然に成長し続けます。
いっぽう心は28歳くらいまでは自然に成長しますが、それ以降は意識的に自己成長を努めなければ発達しません。
たいていの人たちは、安楽な人生のままだと、28歳前後で心の成長が止まります。
けれどもほとんどの人間は幼少期から思春期にかけて何らかの心身の傷を負っているので、その傷に対処することで、28歳以降の成長が促されます。
28歳から35歳までは謂わば人生の凪状態となります。
35~42歳にかけて、人は、21~28歳までの傷に対峙します。
42~49歳は、14~21歳までの傷に。
49~56歳は、7~14歳までの傷に。
56~63歳は、0~7歳までの傷に、それぞれ対峙することになります。
63歳以降は、それまでの各人生周期で回復できなかった傷の修復にかかります。
しかし、63歳以降は、死後の世界を視野に入れながら自分の一生を顧みる必要があります。
死後を見据えた人生観を再構築しない限り、自分の過去の各時代の傷を回復することは不可能になります。
35歳以降の各人生周期に、思春期から誕生までの各周期での心の傷を癒さなないままでいると、身体に何らかの病状が現れます。
私たちの身体の発達は21歳前後で止まりますが、心の発達は28歳以降も自らの努力で遂行していかなければなりません。
そうしないと人間は中年期以降にさまざまな身体症状に悩まされます。
身体症状は心の中に潜む何らかの課題を成し遂げるための徴候です。
超心理カウンセリングでは、中高年に対してはワークと対話を通して、青少年に対してはセミナーを通して、人生観を再構築するお手伝いをしながら、心の傷の修復を図ります。
2026-02-06 09:42:00

立春の想起

小学校時代からの友人の誕生日に思うこと。
小学生時代から7年×8回以上の年月が過ぎた。僕は数年前に山での遭難から生還し、その友人も2年前に自動車事故から生還した。生還後に僕はあれこれと今生の縁をそこはかとなくも終結し、7年×9回を過ぎてから再婚することができた。その縁は前々前世からの功徳もしくは祝福だと言える。(神に感謝!)
人はひとつの人生で老いていく。或る老人は認知症と診断されたが、自分自身を18歳だと思い込んでいて、鏡に映った今の自分を他人様だと思ってご丁寧に挨拶する。それはそれで幸せな終活期間だ。僕自身も今の自分を、肉体は確実に老いているけれども、内面では思春期のように感じている。
シュタイナーによれば、肉体は経年劣化して行っても、健康体であればエーテル体(生命エネルギー)は年と共に若返って行くということだ。自分の内面を思春期のように感じるのは、あの当時と同様の夢と希望を抱くことができているからだ。理想に関しては思春期以上に明澄になってなっている。アストラル体(心魂体)は希望と理想をしっかりと抱いている限り老いも劣化もせずに、来世に向けていっそうに若返っていく。
そうして生命と心魂が赤子のように進化したときに、今生での肉体を脱ぎ捨てて、心魂が霊界へと復活する。それがキリスト・イエスが言った「心を入れ替えて幼な子のようにならなければ、天国には決して入れない」(マタイによる福音書18章3節)の意味だと思う。そうそう、小学校時代の友人は幼少期からクリスチャンで、再婚した妻は思春期に自ら洗礼を受けたクリスチャンである。そして僕はカトリック教会で洗礼をうけたわけではないれども、20代半ばからキリスト神霊の信仰者だ。
2026-02-04 11:12:00

シュタイナーの医学論

シュタイナーの医学論では、肉体の健康と心魂の関係性を徹底して学ぶことができます。人間には肉体と魂と霊がある、という概念を単純に述べるだけでは、「心身の健康と病気を理解して健全に生活する」という希求を実行することはできません。
シュタイナーは『医療を深めるための瞑想的考察と指導』で以下のように言及しています。
「感情生活は心魂の内にとどまります。なぜならエーテル性の中で絶えず均衡が取られるからです。均衡が破れた途端に、感情生活は肉体の中に突進し、肉体と結びつきます。つまり感情生活が器官の中に突入するやいなや、病気が生じます。従って、平穏な感情を心魂内に維持すれば、健康でいられます。それができなければ感情はある器官の中に突進し、病気になります。」p24
本書にはアストラル体とかエーテル体という霊学用語が当然のごとく頻出します。そのような用語を使用せずに人間の心身の健康と病気を詳細に理解することは、ほとんど不可能です。なぜなら通常の言語は身体システムを表現するための意味しか持っていないからです。心魂と霊的領域を理性・悟性で思考的に理解し、心情・感情で納得するためには、心魂と霊を表現する言語が必要です。アストラル体、エーテル体という生きた概念を自分の中で意味ある言葉にすることによって、私たちはシュタイナーの霊的医学論を日常生活に益することができます。
シュタイナーの医学論勉強会『医療を深めるための瞑想的考察と指導』第4回「病気のカルマ的関連に気づくためのキリスト衝動」@zoomオンライン
2026-02-02 23:37:00

キリストとの縁

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僕と洋子さんがどのようにキリストと出逢ったのかを話してみましょう。

僕は小学2年生でカトリックの小学校に転校しました。母親は、その数年前にクリスチャンの人にとても親切にされた経験を持っていましたが、自身はクリスチャンではありません。父親はプロテスタント系の大学を出ましが、やはり信仰者ではありませんでした。

僕の運命をカトリックに繋げたのは、両親の意志というよりも、僕自身のカルマだったと思います。

カトリック小学校で僕は、併設していた修道院の神聖なオーラをたっぷりと吸収しましたが、それは無意識の感情においてです。意識的な思考面では、クリスチャンの同級生たちに違和感と反感を抱きました。その反感が後に思春期の僕を無神論者へと誘いました。

神への不信感を抱いたのにはもっと根本的な原因があります。僕は絞扼りん症候群という生まれながらの手指欠損の障害があったのですが、神に激しく祈ったものです。「明日の朝になったら指が普通になっていますように」と。しかし指はいっこうに変わりませんでした。

14歳から22歳まで僕は徹底した無神論者でした。大学時代は神の存在を否定するために聖書を読み、その矛盾点を研究していました。けれども無神論を極めていくと、人間の人格は崩壊するのです。22歳から25歳までの僕は、人格崩壊の暗闇の中で真理を激しく手探り続けました。そうしてシュタイナーの著作に辿り着き、小学校時代に修道院の神聖なオーラに浴していた無意識の底から、神への信仰心を取り戻したのです。

いっぽう洋子さんは、キリスト教とは無縁の家庭で育ちましたが、その過酷な家庭環境の中で、いつも神に祈っていました。つまり神への希求は、洋子さん自身のカルマだったと言えます。

そして洋子さんは15歳で父親と決別する決心をし、母親の郷里に出奔するのです。その地で運命の糸に引き寄せられるようにして、カトリックの高校へ入学しました。それは必然の運命だったと言えます。そこで洋子さんはシスターたちの無償の愛に浴し、自身も洗礼を受けることになります。

そのようなカトリック・クリスチャンがシュタイナーを信奉することになるのは稀有なケースです。熱心なカトリック信者ほど、シュタイナーのキリスト論には忌避感を覚える場合が多いのです。

洋子さんがシュタイナーを違和感なく探求するようになったのは、カトリックの道とは別に、霊的ヒーリングの領域でも治癒体験していたからです。

この話はまたの機会にしましょう。

兎も角も、シュタイナーを探求するようになった洋子さんは、いっそうにキリスト教を深く理解するようになりました。

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