キエスタ ブログ
2026-06-09 18:27:00
魂のこよみ6月第1週
2026-06-08 12:04:00
声でとどける♪ 宮沢賢治の世界
横浜・反町ギャラリーカオル&カフェにて、
野口田鶴子さんによる、ひとり語り〜この日 ここで賢治に会える〜そんな願いが込められた朗読ライブにはじめてお伺いしました。
『やまなし』は、川の底で暮らすカニの兄弟の生活と季節の移り変わりを通して、「命の美しさ」や「他者への献身(自己犠牲)」を象徴した物語。物語の終盤、水底に「やまなしの実」が落ちてきます。この実は、そのままの形ではなく、川の中で発酵して良い香りを放ち、カニの父が「いいお酒になる」と語ります。 やまなしは、自らを犠牲(発酵)にすることで周りを豊かにし、幸せを与える存在として描かれています。
『なめとこ山の熊』は、人間も動物も、他の命を奪わなければ生きていけないという宿命(葛藤)」や、その先にある「命への深い感謝と祈り」をこの作品を通して表現されています。
どちらの作品からも、賢治の自然、生命に対するあたたかい眼差しと、深い愛情が伝わってきました。野口田鶴子さんの臨場感あふれる朗読の力にぐいぐい引き込まれて、賢治の世界にどっぷり、浸ることができました。
詩人・村野美優さんとピアニスト・山本わかこさんのゲストコーナーは、瑞々しい感性の美優さんの詩に、わかこさんの曲がピッタリで、心地よいひとときでした
どうもありがとうございました

2026-06-08 12:01:00
【チマッティ神父さまの御ミサにて】✨
調布サレジオ神学院聖堂にて、毎月6日にはチマッティ神父さまの命日に合わせて御ミサが行われています。6月6日、チマッティ資料館の館長マルシリオ神父さまに久しぶりにお会いするために夫と共に御ミサに伺いました。
マルシリオ神父さまにはカトリック別府教会
で18歳のときに洗礼を授けていただきました。あれから、40年の歳月が流れましたが、弟、母の帰天に際してはマルシリオ神父さまにお祈りをしていただき、府中カトリック墓地に納骨をいたしました。人生の節目に神さまの特別な配慮をいただき、マルシリオ神父さまに出会わせていただいていることに心から感謝いたします

御ミサのなかで、チマッティ神父は二人の聖人の言葉を目標にしていたと紹介がありました。
「酢の1樽よりも蜂蜜のひと匙の方が蝿を引き付ける」(聖フランシスコ・サレジオ)
「完全さを目指すよりも実際に出来る善を営むこと」(聖ドン・ボスコ)
チマッティ神父さまの人に対する感化、また、人からの絶対的な信頼が抜群であったエピソードから、優しく、愛情深いお人柄が偲ばれました。先月85歳
を迎えられたマルシリオ神父さまにも、チマッティ神父さまの霊性が宿っているようです。来週は奄美大島へお出掛けになられるとのこと、まだまだ、お元気でいてくださることがほんとうに有り難いですね。
御ミサのあとは、チマッティ神父さまの地下聖堂で瞑想とお祈りを捧げました。午後から、府中カトリック墓地にも立ち寄り、弟、母、神父さま、シスター方にお参り
澄み渡る青空、心地よい風に、聖霊の息吹を感じ、心が慰められるひとときとなりました
2026-06-05 20:32:00
自死魂たち
思春期の少年や少女が希死念慮や自殺企図に駆られるのは当然の成り行きです。
年間3万人前後にのぼる自殺者数が数十年も続いている日本。
そのような国土を覆うアストラル界にはどれほどの自殺した魂たちが漂っていることでしょう。
思春期に目覚めるアストラル体は、人生の中で最も繊細かつ鋭敏な感受性を持っています。
そのような思春期のアストラル体が、日本中を包むアストラル界の自死魂たちに繋がらないわけはないのです。
繊細で純粋なアストラル体を持っている少年少女たちほど、自死魂たちに憑依されます。
憑依されるのは当然の成り行きなのです。
自死魂たちが生者に憑依するのは、辛苦の闇底から救われたいからです。
自死魂たちはワラをもつかむ思いで、純粋な光を放つ思春期の少年少女のアストラル体にすがりつきます。
ではどうやって、自死魂たちの憑依に向き合えばよいのでしょうか。
除霊には意味がありません。
彼らを浄霊し、成仏してもらう必要があります。
そのためには憑依された者が、希死念慮や自殺企図を超克するための精神的・霊的理想を抱かなければなりません。
自死魂たちは、憑依した者と共に救われるのです。
私たちはシュタイナーの死生観を学ぶことによって死者の救済を可能にする術を獲得できます。
シュタイナー著『死について』の読書会を始めます。
2026-05-31 18:04:00
三位一体の主日~神の独り生まれの子イエス
本日のミサは「三位一体の主日」でした。
典礼にはヨハネによる福音(第3章16~18節)が引用されていました。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子を信じていないからである。」
シュタイナーのキリスト論によれば、「独り子」とは一人っ子のことではなく、「独り生まれの子」のことです。
つまり、処女マリアが聖霊によって身籠もって産んだ子を意味します。
イエスとは、男女の交合から生まれたのではく、独りの女性から生まれた人間である、ということです。
「三位一体の主日」とは、「父と子と聖霊」と呼ばれる三位一体の神霊存在から、聖霊の力を与ることを意味します。
その聖霊によって処女マリアは受胎し、イエスが生まれた、という神秘の事実を信じることができなければ、イエス・キリストの存在を真に信じることもできないし、また、三位一体の主日を真に信じることも不可能です。
私たちは現在、シュタイナーのキリスト論を学ぶことを通して、真の意味での「神の独り子であるイエス」を信じることが可能になります。
キエスタon-line月曜塾シュタイナーのキリスト論セミナーでは、6月からシュタイナーの『マルコ福音書講義』を探求いたします。
キリストを真に信じたい方はどうぞご参加ください。
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