キエスタ ブログ

2026-03-12 10:56:00

権力志向と愛の欠如

親子関係が両親の権力による子への支配になってしまう傾向は多々あります。

現在の文化状況では、親と子の間で、自由と平等と愛情という基本要素が健全に育成されることは難しいのです。

子どもの発達に合わせて、基本要素を重点的に大事にする必要があります。

0〜7歳      愛情

7〜14歳    平等

14〜21歳  自由

そもそも現代では愛情という基本要素が成立し難くなっています。

愛情とは、端的に言えば、帰依と献身です。

幼児時代に保護者から愛情を得られた程度に合わせて、子どもは健全に発達します。

幼児時代に親の権力で支配されると、その子どもは一生、愛を求めてさまよう人生を送ります。

そして多くの人たちは権力志向の性質を増悪させます。

幼児期に権力志向の萌芽を植え付けらると、その後の生育過程で、平等と自由の精神を育てるのも難しく困難になります。

権力志向を強く持ってしまうのは、前世のカルマも強く影響します。

私たちの世界に、紛争や戦争が絶え間なく起こるのは、人々の精神の根底に権力志向があるからです。

政治活動や国政によっては、人類から戦争を根絶するのは不可能だと、どれほどの人たちが自覚できるでょうか。

人間の権力志向の中に、人間同士が争い憎み合うことに快感を覚える霊的存在たちが、支配欲と権力欲の油を注入します。

そしてその人たちは何も自覚しないまま、紛争と戦争に、間接的にも加担する言動を続けることになります。

⭐︎カウンセリング及び個人セッションをご希望の方は【探求の家】ホームページからお申し込み、お問い合わせください。

https://chiesta.org/reservation

2026-03-07 17:16:00

イスラム教圏とキリスト教圏の対立

シュタイナーの『黄金伝説と神殿伝説』を熟読すると、まさに今起きているイランへのアメリカ軍侵攻の神秘学的意味が考察できます。

 

本書でシュタイナーは、中世以前の高度なイスラム文化が中世以降のヨーロッパにどのように強烈に影響したかを、輪廻転生観を前提にして詳細に言及しています。

 

中世以前のイスラム文化圏で活動していた優秀な人々が、中世以降のヨーロッパに転生し、その後の西洋文化の唯物思想の源泉を創り上げました。

 

では現在、欧米の西洋文明を激しく憎悪しているイスラム圏の人々は、どの時代から転生してきた人々でしょうか。

 

それは当然のごとく推察できますが、中世時代に十字軍としてヨーロッパからイスラム圏に進軍し、イスラムの人々を残酷に蹂躙した西洋人たちだったのに違いありません。

 

現在、イスラム教文化圏と欧米のキリスト教文化圏の相剋関係の根源は、輪廻転生観によらなければ、解決の糸口を見出すことはできないでしょう。シュタイナーのキリスト論セミナー『神殿伝説と黄金伝説』第4回「電気と原子と秘密結社」@zoomオンライン

2026-02-21 16:51:00

「NPO法人メンタルヘルス・コミュニティ探求の家」設立の申請

メンタルヘルス・コミュニティ探求の家では、NPO法人の設立を目指しています。
NPO法人メンタルヘルス・コミュニティ探求の家【設立と入会のご案内】表.jpg
探求の家は、2024年7月の仮オープンから2025年4月の本格オープンを経て現在に至るまで、シュタイナーの提唱した思想内容を土台と理想として活動しています。
リアル開催の教育セミナーも、on-lineセミナーも、ほとんどはシュタイナー思想に基づいて行なってきました。
シュタイナーの提唱した「Geistewissenschaft」は、日本語の翻訳本では「霊学」とも訳されます。
日本語の「霊」という言葉の語源をAIに尋ねると「「霊(靈)」という言葉の語源は、古代中国において「雨乞いをする巫女(みこ)」を表す文字に由来します。神に祈りを捧げ、天の霊的な力(雨)を地上に引き寄せる巫女の姿から、神妙な存在や精神を指すようになりました。」さらに「霊魂としての解釈: 人が死ぬと魂は天に昇るとされ、その精神・魂のことも「霊」と呼ぶようになりました。」とあります。
どうでしょうか。
シュタイナーを学んでいる人にとっては、「Geist」というドイツ語の日本語訳としては、「霊」という言葉の語源よりも、「精神」という言葉の語源のほうがしっくりするでしょうか。
ですので私たち探求の家のまくら言葉としては、「精神の健康を目指す共同体」というのが直裁かもしれません。
いっぽう、メンタルヘルスのMentalの語源は「ラテン語で「心」「精神」「知性」を意味する「mens(メンス)」または「mentis(メンティス)」です。これに形容詞を作る接尾辞「-al」が付き、「精神に関連する」「心の」という意味になりました。 」ということです。
healthの語源は「古英語で「全体」「完全な」を意味する「hal」に由来します。心身に欠けるところのない、調和の取れた完全な状態を指しており、whole(全体)、heal(癒す)、holy(神聖な)も同根の言葉です。また、古代ギリシャ語の「Holos(全体)」とも関連しているとされています。 」
Mentalhealthの語源がラテン語であったりギリシャ語であったりするのは、シュタイナーの人類史論とも関連していて意味深いですね。
というわけで、探求の家は「NPO法人メンタルヘルス・コミュニティ探求の家」という名称で神奈川県と法務局に申請します。
ちなみにこれまで探求の家では「casa d'inChiesta(カサ・ディンキエスタ)」というイタリア語をまくら言葉に使っています。
「casa d'in」はイタリア語の「casa d'inChiesta(カサ・ディンキエスタ)」の略称で、直訳すると「探求(調査)の家」を意味します。自己探求や精神的な学び、またその拠点となる場所やコミュニティを指す言葉として使っています。
NPO法人メンタルヘルス・コミュニティ探求の家【設立と入会のご案内】裏.jpg
2026-02-21 16:46:00

「精神」の語源

ヘーゲルというドイツの哲学者がいました。
ヘーゲル.jpg
1770~1831年に生きた人で、AIで調べると「ドイツ観念論を完成させた絶対的理想主義者として、ドイツ哲学史上で最高峰の評価を得ています。」という紹介がなされます。
さらにAIで調べると「日本の高校の倫理や世界史の教科書で、ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは必ずと言っていいほど紹介されます。カント、フィヒテに続くドイツ観念論の代表的哲学者として、弁証法(正・反・合)や絶対精神、歴史哲学の基礎的な理論が解説されるのが一般的です。」
ヘーゲルの唱えた「絶対精神」のドイツ語は「absoluter Geist」です。
このドイツ語についてもAIでは「現代のドイツ人にとって「Geist(ガイスト)」は、単なる「精神」や「幽霊」を超え、理性、知性、創造性、雰囲気、さらには歴史的な背景や教養の深みを表す複雑な概念です。抽象的な精神活動から、日常生活の場の「雰囲気」まで、文脈によって多様なニュアンスを持つ言葉として捉えられています。」となります。
ヘーゲル哲学を日本で最初に詳しく紹介したのは、西周(にし あまね)という思想家・教育家で、明治27年(1894年)のことだそうです。
その時に西周はヘーゲルの言う「geist」と「精神」と訳しました。
西周.jpg
日本語の「精神」という言葉の由来をAIに尋ねると「「精神」という言葉は、飛鳥・奈良時代(6〜7世紀頃)の仏教伝来とともに中国から輸入された漢字語(漢語)として日本に入ってきました。当初は「生命力」や「心のありよう」といった仏教的な概念として使用され、現代のような「心・精神力」という意味で定着したのは、明治以降に英語の「mind」「spirit」の訳語として再定義されてからです。 」とあります。
さて、シュタイナーの著作の翻訳家・西川隆範さんは、シュタイナーが使っていた「geist」を、仏教伝来の「精神」や、ヘーゲル哲学の訳語「精神」という言葉をも踏まえて、「精神」と訳しています。
そしてシュタイナーの提唱した学問「Geisteswissenschaft」を西川さんは「精神科学」と訳しています。
長々と説明してきましたが、シュタイナーの「精神科学」という言葉は、現在の日本の「精神科医療」という日本語の「精神」とは、全く意味合いが違う、ということを僕は皆さんに明確に伝えたかったわけです。
ちなみにドイツ語のgeistは英語ではghostとなります。
ゴーストと言えば幽霊とか亡霊いう意味合いが強いですが、ghostは古英語ではgastとなり、それは息・生命力・魂という意味だったそうです。
2026-02-17 09:42:00

中江藤樹とシュタイナー

シュタイナーが日本の中江藤樹について言及しているのは興味深いところです。
『悪について』ルドルフ・シュタイナー著/高橋巌 訳(春秋社刊行)
出典:1914年1月15日 ベルリンでの講演(GA63)より
「世界における悪の意味という大問題に何らかの仕方で答えようとする思いは、ヨーロッパ文化圏に内に留まらず、もっと広範囲に見られます。ですからここで別の例を取り上げたいのです。全く別の文化圏から出た思想家の例です。中国の思想家王陽明の弟子である日本の中江藤樹(1608〜1648年)の場合です。
 中江藤樹にとって、私たちがこの世で経験するすべては、二つの事柄 二つの本性から成り立っています。彼は一方の本性を、霊に対するように考察し、そして人間の魂をこの霊的なものに関与させているのです。この本性を彼は「理」と呼んでいます。さらに彼は人間にとって体的に現れるものにも眼を向け、そしてこの体的本性を物質から成り立っているすべてに関与させているのです。この本性はは「気」と呼ばれています。そしてすべての存在は、彼の場合、この理と気のそれぞれ固有の組み合わせから生じているのです。
 17世紀前半に活動した東洋のこの思想家にとって、理も気も不可欠な存在なのです。しかし人間の魂が理を体験しつつ気の中に沈響することで、いわば理をもって気に沈むことで、気から意志が生じ、そしてその意志から欲望が生じます。そうすると、意志と欲望に取り込まれた人間の魂は、悪の可能性をふまえて生きていかざるをえなくなるのです。
 17世紀の前半の時代に生きた東洋のこの思想家の立場は、プロティノス以来の、悪の起源についての思想、つまり物質にとらわれた人間の状態が悪の始まりである、という思想ととても近いのです。
 私たちも、あとで取り上げますように、物質にとらわれた状態の中に悪の起源を見るという立場に一度はっきり立ってみるのは、大事なことなのです。まさにこの立場は、人間文化の広範囲に及ぶ地域に現れているのですから。」p22〜25
ネットで調べると、中江藤樹の思想がヨーロッパに紹介されたのは明治時代になってからだそうです。
シュタイナーもどこかで中江藤樹の紹介文を読んだのでしょうね。
シュタイナーのことだから、中江藤樹の前世や次世も透視していたのではないでしょうか。
あるいは中江藤樹の生まれ変わりの人間が20世紀初頭のドイツに転生して、シュタイナーと直接会っていたのかもしれません。
Nakae_Toju_portrait.jpg
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