キエスタ ブログ
立春の想起
キリストとの縁
僕と洋子さんがどのようにキリストと出逢ったのかを話してみましょう。
僕は小学2年生でカトリックの小学校に転校しました。母親は、その数年前にクリスチャンの人にとても親切にされた経験を持っていましたが、自身はクリスチャンではありません。父親はプロテスタント系の大学を出ましが、やはり信仰者ではありませんでした。
僕の運命をカトリックに繋げたのは、両親の意志というよりも、僕自身のカルマだったと思います。
カトリック小学校で僕は、併設していた修道院の神聖なオーラをたっぷりと吸収しましたが、それは無意識の感情においてです。意識的な思考面では、クリスチャンの同級生たちに違和感と反感を抱きました。その反感が後に思春期の僕を無神論者へと誘いました。
神への不信感を抱いたのにはもっと根本的な原因があります。僕は絞扼りん症候群という生まれながらの手指欠損の障害があったのですが、神に激しく祈ったものです。「明日の朝になったら指が普通になっていますように」と。しかし指はいっこうに変わりませんでした。
14歳から22歳まで僕は徹底した無神論者でした。大学時代は神の存在を否定するために聖書を読み、その矛盾点を研究していました。けれども無神論を極めていくと、人間の人格は崩壊するのです。22歳から25歳までの僕は、人格崩壊の暗闇の中で真理を激しく手探り続けました。そうしてシュタイナーの著作に辿り着き、小学校時代に修道院の神聖なオーラに浴していた無意識の底から、神への信仰心を取り戻したのです。
いっぽう洋子さんは、キリスト教とは無縁の家庭で育ちましたが、その過酷な家庭環境の中で、いつも神に祈っていました。つまり神への希求は、洋子さん自身のカルマだったと言えます。
そして洋子さんは15歳で父親と決別する決心をし、母親の郷里に出奔するのです。その地で運命の糸に引き寄せられるようにして、カトリックの高校へ入学しました。それは必然の運命だったと言えます。そこで洋子さんはシスターたちの無償の愛に浴し、自身も洗礼を受けることになります。
そのようなカトリック・クリスチャンがシュタイナーを信奉することになるのは稀有なケースです。熱心なカトリック信者ほど、シュタイナーのキリスト論には忌避感を覚える場合が多いのです。
洋子さんがシュタイナーを違和感なく探求するようになったのは、カトリックの道とは別に、霊的ヒーリングの領域でも治癒体験していたからです。
この話はまたの機会にしましょう。
兎も角も、シュタイナーを探求するようになった洋子さんは、いっそうにキリスト教を深く理解するようになりました。
お宮参り
孫のお宮参りに想う。
僕の父親は16年前に、母親は6年前に帰天した。
帰天した霊魂は、生前に生きた年数の3分の1の期間、月の軌道領域にある霊界に滞在している。
新たに誕生してくる霊魂は、前世での帰天から太陽系領域の霊界を巡って数百年後に地球に近づき、月の軌道領域に留まって、自らが誕生する土地と親を選んで見守っている。
つまり、16年前と9年前に帰天した両親と、ひと月前に誕生した孫とは、月の軌道領域の霊界で、遭遇しているかも、と考えられるのだ。
僕は微塵の悲しみも辛さもなく両親を見送った。むしろ、病体を脱ぎ捨てて解放された両親の霊魂の旅立ちを祝福しながら見送ったのだ。
その両親が、両親にとっては孫である、僕の娘の子どもの霊魂を、霊界から祝福を込めて地上へと見送ったのだなぁ、とつくづくと想えたのだった。
だからこそ僕の娘の子どもは、恵まれた環境ですくすくと健全に育っている。
死者の霊魂と、これから誕生する霊魂との、月領域での交叉的出逢いこそが、その子どもの幸運となるのに違いない。
新たな運命の創造としての決断と決意
4月に入って3週間経ち、入籍したことをようやく落ち着いて振り返ることができている。
4月2日はちょうど僕の誕生日でもあり66歳となった日でもある。
僕と洋子さんは共に再婚であり、僕の娘と洋子さんの息子はそれぞれすでに結婚している。
僕は14年間勤めていた行政機関の電話相談業務を3月末で退職し、人生の区切りとしての新年度から、早々の入籍と新たな活動「探求の家」の開設となった。
3日の夜に鎌倉を発ち、第2の活動拠点である岐阜県の七宗町へ八京バスで向かい、山里で2週間を慌ただしく過ごした。
七宗町では新年度から月・水・金曜日の夜にon-lineセミナーを開講し、土日はoff-lineのサロンとセミナー。
今年度は毎月半分ずつを七宗町と鎌倉で過ごす計画だ。
第1の活動拠点である鎌倉でも同様に、on-lineとoff-lineのセミナーを続ける。
2025年はシュタイナー帰天100周年である。
シュタイナーは7年周期の9巡を終えて10巡目に入った矢先の64歳で今生を終えた。
僕は64歳から7年周期の10巡目として七宗町での拠点つくりを始めた。
7年周期の6巡を終える42歳の時に離婚し、父子家庭として娘と共に生きたが、9巡を終えた時に娘は結婚して家を出た。
10巡目の64歳の最初に洋子さんと七宗町に行くことができ、翌2024年2月に上麻生駅近くの古民家を購入し、4月から住み始め「探求の家かみあそう」として活動拠点となった。
さて、入籍とは何であろうか。
30歳の時に最初に結婚入籍した時には、端的に言ってしまえば、前世からの何らかのカルマを精算するための宿命のような結婚だった。
今回は自らの意志で新たに決断・決意した、新たな運命の創造のように思っている。
弘明寺を巡る縁
娘が受胎した。
人間の魂は誕生前に魂界から地上を観察して自らの両親となる男女が出逢うための運命に関与するという。
僕が誕生した時、父親となる人はアメリカ軍駐留の三澤基地で、ベトナム戦争から帰還した米兵に真珠を売る仕事をしていた。そして母となる人は辺鄙な故郷を疎み都会に憧れていた。その2人は映画館の隣席で出逢い、結婚へと至った。
僕の娘が魂界から自らの両親を探していた頃、僕は映画雑誌の仕事をしていたが、30歳になった年に、社会生活を捨てて出奔しようとしていた。その時に或る女性が僕を引き留め、あれよあれよと結婚するに至った。
あの時に僕を引き留めた運命に関与したのが、その後に僕たちの間に生まれた娘だったのだ。娘の魂が関与しなければ僕は世捨て人になり、とっくにのたれ死んでいたかもしれない。
娘の魂が母親として選んだ女性は横浜の弘明寺近くを実家に持つ人だった。なおかつ、僕が18〜22歳まで交際した女性の実家も弘明寺近くであったのだ。
この弘明寺は空海を開祖とする伝説があり、十一面観音と大聖歓喜天を祀っている。僕は後に、娘が母親として選んだ女性と離婚した時に、弘明寺の大聖歓喜天に自分の将来を祈願して、その後の人生で辛酸を舐めるエライ試練をいただくことになる。
話を戻すと、僕と元妻は子どもを受精する時をしっかりと準備して実行し、娘の魂が元妻に受胎した時には、僕は確かに天空から大いなる力が流れ込んでくるように感じたものだった。
娘が誕生する時期に僕らは元妻の実家の近くに転居した。そこは、大戦中に日本軍と戦って戦死したイギリス兵たちが葬られた英連邦墓地のすぐ近くであり、また権太坂という地もすぐだった。
その権太坂に、洋子さんの両親の家があった。
話をはしょると、後々に洋子さんは弘明寺近くに職場を持つことになる。また、洋子さんの両親は離婚して、洋子さんは父親と絶縁することになるだが、その父親は最期に弘明寺の町で亡くなる。
そうして僕は42歳で離婚し、娘と二人暮らしの父子家庭になるのだが、紆余曲折して洋子さんと出逢うことになったのはその20年ほど後になる。
このように、或る土地、そしてその地に祀られる神仏存在が、生まれてくる魂と協働しながらに人間同士の縁に関与してくるわけである。
僕の娘が受胎した子どもは今年の10月に誕生予定だ。この子もたぶん、弘明寺とも縁があることだろう。




