キエスタ ブログ
2026-02-21 16:51:00
「NPO法人メンタルヘルス・コミュニティ探求の家」設立の申請
メンタルヘルス・コミュニティ探求の家では、NPO法人の設立を目指しています。
探求の家は、2024年7月の仮オープンから2025年4月の本格オープンを経て現在に至るまで、シュタイナーの提唱した思想内容を土台と理想として活動しています。
リアル開催の教育セミナーも、on-lineセミナーも、ほとんどはシュタイナー思想に基づいて行なってきました。
シュタイナーの提唱した「Geistewissenschaft」は、日本語の翻訳本では「霊学」とも訳されます。
日本語の「霊」という言葉の語源をAIに尋ねると「「霊(靈)」という言葉の語源は、古代中国において「雨乞いをする巫女(みこ)」を表す文字に由来します。神に祈りを捧げ、天の霊的な力(雨)を地上に引き寄せる巫女の姿から、神妙な存在や精神を指すようになりました。」さらに「霊魂としての解釈: 人が死ぬと魂は天に昇るとされ、その精神・魂のことも「霊」と呼ぶようになりました。」とあります。
どうでしょうか。
シュタイナーを学んでいる人にとっては、「Geist」というドイツ語の日本語訳としては、「霊」という言葉の語源よりも、「精神」という言葉の語源のほうがしっくりするでしょうか。
ですので私たち探求の家のまくら言葉としては、「精神の健康を目指す共同体」というのが直裁かもしれません。
いっぽう、メンタルヘルスのMentalの語源は「ラテン語で「心」「精神」「知性」を意味する「mens(メンス)」または「mentis(メンティス)」です。これに形容詞を作る接尾辞「-al」が付き、「精神に関連する」「心の」という意味になりました。 」ということです。
healthの語源は「古英語で「全体」「完全な」を意味する「hal」に由来します。心身に欠けるところのない、調和の取れた完全な状態を指しており、whole(全体)、heal(癒す)、holy(神聖な)も同根の言葉です。また、古代ギリシャ語の「Holos(全体)」とも関連しているとされています。 」
Mentalhealthの語源がラテン語であったりギリシャ語であったりするのは、シュタイナーの人類史論とも関連していて意味深いですね。
というわけで、探求の家は「NPO法人メンタルヘルス・コミュニティ探求の家」という名称で神奈川県と法務局に申請します。
ちなみにこれまで探求の家では「casa d'inChiesta(カサ・ディンキエスタ)」というイタリア語をまくら言葉に使っています。
「casa d'in」はイタリア語の「casa d'inChiesta(カサ・ディンキエスタ)」の略称で、直訳すると「探求(調査)の家」を意味します。自己探求や精神的な学び、またその拠点となる場所やコミュニティを指す言葉として使っています。
2026-02-21 16:46:00
「精神」の語源
ヘーゲルというドイツの哲学者がいました。
1770~1831年に生きた人で、AIで調べると「ドイツ観念論を完成させた絶対的理想主義者として、ドイツ哲学史上で最高峰の評価を得ています。」という紹介がなされます。
さらにAIで調べると「日本の高校の倫理や世界史の教科書で、ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは必ずと言っていいほど紹介されます。カント、フィヒテに続くドイツ観念論の代表的哲学者として、弁証法(正・反・合)や絶対精神、歴史哲学の基礎的な理論が解説されるのが一般的です。」
ヘーゲルの唱えた「絶対精神」のドイツ語は「absoluter Geist」です。
このドイツ語についてもAIでは「現代のドイツ人にとって「Geist(ガイスト)」は、単なる「精神」や「幽霊」を超え、理性、知性、創造性、雰囲気、さらには歴史的な背景や教養の深みを表す複雑な概念です。抽象的な精神活動から、日常生活の場の「雰囲気」まで、文脈によって多様なニュアンスを持つ言葉として捉えられています。」となります。
ヘーゲル哲学を日本で最初に詳しく紹介したのは、西周(にし あまね)という思想家・教育家で、明治27年(1894年)のことだそうです。
その時に西周はヘーゲルの言う「geist」と「精神」と訳しました。
日本語の「精神」という言葉の由来をAIに尋ねると「「精神」という言葉は、飛鳥・奈良時代(6〜7世紀頃)の仏教伝来とともに中国から輸入された漢字語(漢語)として日本に入ってきました。当初は「生命力」や「心のありよう」といった仏教的な概念として使用され、現代のような「心・精神力」という意味で定着したのは、明治以降に英語の「mind」「spirit」の訳語として再定義されてからです。 」とあります。
さて、シュタイナーの著作の翻訳家・西川隆範さんは、シュタイナーが使っていた「geist」を、仏教伝来の「精神」や、ヘーゲル哲学の訳語「精神」という言葉をも踏まえて、「精神」と訳しています。
そしてシュタイナーの提唱した学問「Geisteswissenschaft」を西川さんは「精神科学」と訳しています。
長々と説明してきましたが、シュタイナーの「精神科学」という言葉は、現在の日本の「精神科医療」という日本語の「精神」とは、全く意味合いが違う、ということを僕は皆さんに明確に伝えたかったわけです。
ちなみにドイツ語のgeistは英語ではghostとなります。
ゴーストと言えば幽霊とか亡霊いう意味合いが強いですが、ghostは古英語ではgastとなり、それは息・生命力・魂という意味だったそうです。
2026-02-17 09:42:00
中江藤樹とシュタイナー
シュタイナーが日本の中江藤樹について言及しているのは興味深いところです。
『悪について』ルドルフ・シュタイナー著/高橋巌 訳(春秋社刊行)
出典:1914年1月15日 ベルリンでの講演(GA63)より
「世界における悪の意味という大問題に何らかの仕方で答えようとする思いは、ヨーロッパ文化圏に内に留まらず、もっと広範囲に見られます。ですからここで別の例を取り上げたいのです。全く別の文化圏から出た思想家の例です。中国の思想家王陽明の弟子である日本の中江藤樹(1608〜1648年)の場合です。
中江藤樹にとって、私たちがこの世で経験するすべては、二つの事柄 二つの本性から成り立っています。彼は一方の本性を、霊に対するように考察し、そして人間の魂をこの霊的なものに関与させているのです。この本性を彼は「理」と呼んでいます。さらに彼は人間にとって体的に現れるものにも眼を向け、そしてこの体的本性を物質から成り立っているすべてに関与させているのです。この本性はは「気」と呼ばれています。そしてすべての存在は、彼の場合、この理と気のそれぞれ固有の組み合わせから生じているのです。
17世紀前半に活動した東洋のこの思想家にとって、理も気も不可欠な存在なのです。しかし人間の魂が理を体験しつつ気の中に沈響することで、いわば理をもって気に沈むことで、気から意志が生じ、そしてその意志から欲望が生じます。そうすると、意志と欲望に取り込まれた人間の魂は、悪の可能性をふまえて生きていかざるをえなくなるのです。
17世紀の前半の時代に生きた東洋のこの思想家の立場は、プロティノス以来の、悪の起源についての思想、つまり物質にとらわれた人間の状態が悪の始まりである、という思想ととても近いのです。
私たちも、あとで取り上げますように、物質にとらわれた状態の中に悪の起源を見るという立場に一度はっきり立ってみるのは、大事なことなのです。まさにこの立場は、人間文化の広範囲に及ぶ地域に現れているのですから。」p22〜25
ネットで調べると、中江藤樹の思想がヨーロッパに紹介されたのは明治時代になってからだそうです。
シュタイナーもどこかで中江藤樹の紹介文を読んだのでしょうね。
シュタイナーのことだから、中江藤樹の前世や次世も透視していたのではないでしょうか。
あるいは中江藤樹の生まれ変わりの人間が20世紀初頭のドイツに転生して、シュタイナーと直接会っていたのかもしれません。
2026-02-16 23:35:00
シュタイナーの著作を読むこと
シュタイナーを学べば学ぶほど、世界の真実、さらには宇宙の真理をもっともっと知りたくなる。
シュタイナーから促される探求心はとめどもない。
シュタイナーを通して世界の、そして宇宙の全てを学ぶことができる。
シュタイナー帰天100年の2025年度はシュタイナーの著作を改めて30冊以上熟読したが、全ての著作が有機的に関連し合って、読めば読むほど、シュタイナーの言わんとしていた世界と宇宙に関して理解が深まることが体感された。
そしてシュタイナーの著作群は全て、霊界の認識へと読む人の魂を誘う。
それらは単なる知識ではなくて、読む人の魂を霊的認識へと導く瞑想的な道程となる。
この時代に生きている人たちがシュタイナーの著作に出逢わないとしたら何という不幸だろう、とさえ思てしまう。
2026-02-16 11:14:00
心の傷と身体症状
人間の身体は21歳前後まで自然に成長し続けます。
いっぽう心は28歳くらいまでは自然に成長しますが、それ以降は意識的に自己成長を努めなければ発達しません。
たいていの人たちは、安楽な人生のままだと、28歳前後で心の成長が止まります。
けれどもほとんどの人間は幼少期から思春期にかけて何らかの心身の傷を負っているので、その傷に対処することで、28歳以降の成長が促されます。
28歳から35歳までは謂わば人生の凪状態となります。
35~42歳にかけて、人は、21~28歳までの傷に対峙します。
42~49歳は、14~21歳までの傷に。
49~56歳は、7~14歳までの傷に。
56~63歳は、0~7歳までの傷に、それぞれ対峙することになります。
63歳以降は、それまでの各人生周期で回復できなかった傷の修復にかかります。
しかし、63歳以降は、死後の世界を視野に入れながら自分の一生を顧みる必要があります。
死後を見据えた人生観を再構築しない限り、自分の過去の各時代の傷を回復することは不可能になります。
35歳以降の各人生周期に、思春期から誕生までの各周期での心の傷を癒さなないままでいると、身体に何らかの病状が現れます。
私たちの身体の発達は21歳前後で止まりますが、心の発達は28歳以降も自らの努力で遂行していかなければなりません。
そうしないと人間は中年期以降にさまざまな身体症状に悩まされます。
身体症状は心の中に潜む何らかの課題を成し遂げるための徴候です。
超心理カウンセリングでは、中高年に対してはワークと対話を通して、青少年に対してはセミナーを通して、人生観を再構築するお手伝いをしながら、心の傷の修復を図ります。




