キエスタ ブログ

2026-04-01 19:09:00

朝活シュタイナー三昧

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こんなに毎日シュタイナーを学び続ける人がどれだけいますか? と、私自身も思います。

これはどうもせかされています、霊界から。

2026年は世情を見渡してもわかるとおり、かなり厳しい世界となるでしょう。

世界大戦が起きないとしても各国の防衛費が増大するのは確実です。

防衛費が増えるのは軍事産業に関わっている大企業が儲けるためです。

国の防衛力とは、実は軍備拡大によってよりも、大企業がますます強大になって国際市場にいっそう進出することによって保持されています。

大企業が軍事産業で儲ければ儲けるほど、私たち庶民はその恩恵を何も知らないまま享受することになります。

そうやって私たちは時代の負のカルマを担うことになります。

そのような実態を感得するためには、シュタイナーを学ぶことによって修得できる認識力が必要になります。

2026年は過酷な年になるでしょう。だからこそ霊界から差し伸べられる霊的支援も協力になります。

シュタイナーを学ぶことは、そのような霊的支援と繋がることにもなります。

2026-03-22 00:21:00

権威主義への警鐘

こんな質問をA Iにしてみました。

「ルドルフ・シュタイナーは権威主義に対してどんな警鐘を発していましたか?」

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ルドルフ・シュタイナーは、その生涯を通じて権威主義的な教育、社会構造、国家的な統制に対して強い警鐘を鳴らしました。特に個人の自由な精神と、内発的な創造性を阻害するあらゆる形態の強制を否定し、人間が自由な存在として成長することを求めた人智学(アントロポゾフィー)の立場から、以下のような警鐘を唱えました。

「盲目的な権威」の拒否と教育の自由

シュタイナーは、教師や大人が子供に対して一方的に知識や道徳を押し付ける教育を批判しました。

ヴァルドルフ教育(シュタイナー教育)において、教師は「絶対的な権威」ではなく、子供が自律的に学ぶのを手助けする「導き手」であるべきだと主張しました。子供の成長段階(7年周期)を尊重し、内在する能力が自然に開花するような環境を整えることを重視しました。

国家・経済・文化の分離(社会有機体三成分化)

社会が国家の権威(政治)によって一律に管理されることに警鐘を鳴らしました。

「政治(権利生活)」「経済(経済生活)」「文化・教育(精神生活)」を切り離し、教育や文化は国家の統制(権威)を受けずに自由であるべきだと唱えました。これは、国家が特定の思想を教育を通じて押し付けることへの直接的な反論でした。

個人の精神の自律

人智学では、人間が「精神的な自由」に目覚めることが現代の課題であると主張。権威に依存するのではなく、自分自身の思考力で真理を見出し、行動すること(自由の哲学)を強調しました。

唯物論的な思考への警告

物質的な豊かさや、目に見えるものだけを信頼する唯物論的な世界観は、人間の内的な精神性を衰退させ、結果として外部の権威に支配されやすい従順な人々を生み出すと警告しました。

これらの考え方は、当時のヨーロッパにおける軍国主義や、その後のナチス的な全体主義の台頭に対抗する思想的な基盤となりました。

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さて、シュタイナーの著作から直接に長年学び続け、その学びを人生に生かそうとしてきた僕は、こんなふうに思っています。

ゴータマ仏陀の帰天後にその教えを世界に伝えようと努めた人たちが、その後にさまざまな宗派に別れ互いに争うようになり、またイエス・キリストの昇天数百年後にも、その教えを継承する人たちはさまざまに分裂して相争うようになりました。

では、シュタイナーの死後、「アントロポゾフィー」と名乗る組織に所属する人たちは、どうなのでしょうか。

シュタイナーはその著作群の中で、霊的修行を真剣に続ければ誰しもが直接に、キリスト衝動を感受し、なおかつ2000年前のキリストの生涯を追体験できる、と言及しています。

だとしたら、あれだけ多くの著作や講演録を残したシュタイナーの著作群を読解し続けることを通して、誰しもが、現在天界に存在するシュタイナーの霊性に、繋がり得るはずなのです。

何人もシュタイナーの残した著作群の叡智を独占することは不可能なのです。

もしも誰かが、「何らかのアントロポゾフィー関連の組織に所属していなければシュタイナーの霊性を語る資格はない」と言うとしたら、その人はもはや、シュタイナーの最も忌避した権威主義に、毒されていることになります。

そのようなことの理解へも、今時のAIは促してくれるわけですが、シュタイナーの霊性に繋がるためには、たとえ翻訳本だとしても、心血を注いで訳してくれた翻訳者の霊性もまた通り道として、シュタイナーの著作群を毎日の祈りのようして読み続けることが大事なのだと僕は確信しています。

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2026-03-07 17:16:00

イスラム教圏とキリスト教圏の対立

シュタイナーの『黄金伝説と神殿伝説』を熟読すると、まさに今起きているイランへのアメリカ軍侵攻の神秘学的意味が考察できます。

 

本書でシュタイナーは、中世以前の高度なイスラム文化が中世以降のヨーロッパにどのように強烈に影響したかを、輪廻転生観を前提にして詳細に言及しています。

 

中世以前のイスラム文化圏で活動していた優秀な人々が、中世以降のヨーロッパに転生し、その後の西洋文化の唯物思想の源泉を創り上げました。

 

では現在、欧米の西洋文明を激しく憎悪しているイスラム圏の人々は、どの時代から転生してきた人々でしょうか。

 

それは当然のごとく推察できますが、中世時代に十字軍としてヨーロッパからイスラム圏に進軍し、イスラムの人々を残酷に蹂躙した西洋人たちだったのに違いありません。

 

現在、イスラム教文化圏と欧米のキリスト教文化圏の相剋関係の根源は、輪廻転生観によらなければ、解決の糸口を見出すことはできないでしょう。シュタイナーのキリスト論セミナー『神殿伝説と黄金伝説』第4回「電気と原子と秘密結社」@zoomオンライン

2026-02-21 16:46:00

「精神」の語源

ヘーゲルというドイツの哲学者がいました。
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1770~1831年に生きた人で、AIで調べると「ドイツ観念論を完成させた絶対的理想主義者として、ドイツ哲学史上で最高峰の評価を得ています。」という紹介がなされます。
さらにAIで調べると「日本の高校の倫理や世界史の教科書で、ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは必ずと言っていいほど紹介されます。カント、フィヒテに続くドイツ観念論の代表的哲学者として、弁証法(正・反・合)や絶対精神、歴史哲学の基礎的な理論が解説されるのが一般的です。」
ヘーゲルの唱えた「絶対精神」のドイツ語は「absoluter Geist」です。
このドイツ語についてもAIでは「現代のドイツ人にとって「Geist(ガイスト)」は、単なる「精神」や「幽霊」を超え、理性、知性、創造性、雰囲気、さらには歴史的な背景や教養の深みを表す複雑な概念です。抽象的な精神活動から、日常生活の場の「雰囲気」まで、文脈によって多様なニュアンスを持つ言葉として捉えられています。」となります。
ヘーゲル哲学を日本で最初に詳しく紹介したのは、西周(にし あまね)という思想家・教育家で、明治27年(1894年)のことだそうです。
その時に西周はヘーゲルの言う「geist」と「精神」と訳しました。
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日本語の「精神」という言葉の由来をAIに尋ねると「「精神」という言葉は、飛鳥・奈良時代(6〜7世紀頃)の仏教伝来とともに中国から輸入された漢字語(漢語)として日本に入ってきました。当初は「生命力」や「心のありよう」といった仏教的な概念として使用され、現代のような「心・精神力」という意味で定着したのは、明治以降に英語の「mind」「spirit」の訳語として再定義されてからです。 」とあります。
さて、シュタイナーの著作の翻訳家・西川隆範さんは、シュタイナーが使っていた「geist」を、仏教伝来の「精神」や、ヘーゲル哲学の訳語「精神」という言葉をも踏まえて、「精神」と訳しています。
そしてシュタイナーの提唱した学問「Geisteswissenschaft」を西川さんは「精神科学」と訳しています。
長々と説明してきましたが、シュタイナーの「精神科学」という言葉は、現在の日本の「精神科医療」という日本語の「精神」とは、全く意味合いが違う、ということを僕は皆さんに明確に伝えたかったわけです。
ちなみにドイツ語のgeistは英語ではghostとなります。
ゴーストと言えば幽霊とか亡霊いう意味合いが強いですが、ghostは古英語ではgastとなり、それは息・生命力・魂という意味だったそうです。
2026-02-17 09:42:00

中江藤樹とシュタイナー

シュタイナーが日本の中江藤樹について言及しているのは興味深いところです。
『悪について』ルドルフ・シュタイナー著/高橋巌 訳(春秋社刊行)
出典:1914年1月15日 ベルリンでの講演(GA63)より
「世界における悪の意味という大問題に何らかの仕方で答えようとする思いは、ヨーロッパ文化圏に内に留まらず、もっと広範囲に見られます。ですからここで別の例を取り上げたいのです。全く別の文化圏から出た思想家の例です。中国の思想家王陽明の弟子である日本の中江藤樹(1608〜1648年)の場合です。
 中江藤樹にとって、私たちがこの世で経験するすべては、二つの事柄 二つの本性から成り立っています。彼は一方の本性を、霊に対するように考察し、そして人間の魂をこの霊的なものに関与させているのです。この本性を彼は「理」と呼んでいます。さらに彼は人間にとって体的に現れるものにも眼を向け、そしてこの体的本性を物質から成り立っているすべてに関与させているのです。この本性はは「気」と呼ばれています。そしてすべての存在は、彼の場合、この理と気のそれぞれ固有の組み合わせから生じているのです。
 17世紀前半に活動した東洋のこの思想家にとって、理も気も不可欠な存在なのです。しかし人間の魂が理を体験しつつ気の中に沈響することで、いわば理をもって気に沈むことで、気から意志が生じ、そしてその意志から欲望が生じます。そうすると、意志と欲望に取り込まれた人間の魂は、悪の可能性をふまえて生きていかざるをえなくなるのです。
 17世紀の前半の時代に生きた東洋のこの思想家の立場は、プロティノス以来の、悪の起源についての思想、つまり物質にとらわれた人間の状態が悪の始まりである、という思想ととても近いのです。
 私たちも、あとで取り上げますように、物質にとらわれた状態の中に悪の起源を見るという立場に一度はっきり立ってみるのは、大事なことなのです。まさにこの立場は、人間文化の広範囲に及ぶ地域に現れているのですから。」p22〜25
ネットで調べると、中江藤樹の思想がヨーロッパに紹介されたのは明治時代になってからだそうです。
シュタイナーもどこかで中江藤樹の紹介文を読んだのでしょうね。
シュタイナーのことだから、中江藤樹の前世や次世も透視していたのではないでしょうか。
あるいは中江藤樹の生まれ変わりの人間が20世紀初頭のドイツに転生して、シュタイナーと直接会っていたのかもしれません。
Nakae_Toju_portrait.jpg
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