キエスタ ブログ
2026-08-09 08:55:00
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2026-07-03 19:51:00
愛の上昇
Quando o ser recebe a individualidade, quando ele cuida e nutre a centelha divina dentro de si, então os impulsos do amor, as ondas do amor, fluem de alma para alma a partir do coração livre. E assim, com esse novo impulso, o ser enriquece o antigo laço de amor que está ligado ao vínculo sanguíneo. O amor se transforma gradualmente em amor espiritual, que flui de alma para alma e que, em última instância, abrangerá toda a humanidade em um laço indissolúvel de amor fraternal.
Dica de Leitura: O Apocalipse de João - GA 104 - Rudolf Steiner
存在が個性を受け取る時、自分の中の神聖な火花をケアし育む時、愛の衝動、愛の波動が、自由な心から魂から魂へと流れる。 そして、この新しいインペタスによって、血の絆とつながっている古い愛の絆を豊かにする。 愛は徐々に魂から魂へと流れる霊的な愛へと変容し、最終的には全ての人類を兄弟愛の絆で包み込むでしょう。読書のヒント:ヨハネの黙示録 - ジョージア州104 - ルドルフ・シュタイナー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「恋に落ちる」のは前世のカルマによる本能的衝動ですが、「愛」は未来へ向かう意図的衝動です。「愛」を実現するためには、第1に「存在が個性を受け取る」必要があります。「存在が個性を受け取る」とは、地上で生きる人間が自分自身の自我を持つという意味です。「私は私個人である」という自我意識を明確に持つことです。第2に「自分の中の神聖な火花をケアし育む」ことが必要です。自分という存在が神々の精神と生命をいただいているという確信を持ち、なおかつ、自らの内の神性を神聖な熱として育て保つことです。自我意識を強化するだけで、神聖な火を燃やし続ける努力を怠れば、人間は魔性に誘われて、魔境に陥ります。魔境に陥らずにいられれば人は、第3に「愛の衝動、愛の波動が、自由な心から魂から魂へと流れる。」境地に上昇できます。この境地は「恋に落ちる」境地とは真逆です。人と人とが自由に「愛の衝動、愛の波動」を交流させるためには、両者の魂が互いに神聖な境地に上昇していなければなりません。この神聖な境地での自由な愛の交流が、「新しいインペタス」=衝動となって、「血の絆とつながっている古い愛の絆を豊かにする。 」のです。血族愛を豊かにするとは、死者となった血族とも意識的につながり、かつ救済することを意味します。そうして人間は幾世かを転生して進化し続け、ようやくに「愛は徐々に魂から魂へと流れる霊的な愛へと変容し、最終的には全ての人類を兄弟愛の絆で包み込む」段階へ至ることができます。このようにシュタイナーの言及は常に、数千年に渡る人間の進化を前提として語られています。
2026-07-01 20:14:00
恋に落ちる輪廻
人が本当に「恋に落ちる」場合、実際にその人の自我は、相手のアストラル体かエーテル体かどちらかの中に、落ちるのです。そしてその人の心身は不穏になります。
私が相手のアストラル体の中に落ちる場合には、私と相手とは前世で、自我による志を共にしていながら別々の人生を歩んだ者同士だったと言えます。
相手のエーテル体の中に落ちる場合は、前世で心情的な苦楽を共にしていた血縁関係だったと言えます。
血縁関係でありながら、何らかの外的事情によって別れ離れになった者同士は、次の人生で他人として出逢い、互いに激しく恋に落ちます。
或る人生で人は必ず、誰か他者と親子関係になります。今世で親子関係になる者同士は、前世ではほぼ、夫婦か恋人関係だったのです。
ここに、親子の愛憎関係やインセストの根源があります。
親と子の愛が、解かなければならない深刻な課題となる場合、輪廻転生の観点から考察しなければ、全く解決しない場合が多々あります。
そしてまた、恋に落ちて不穏になることの根源は、前世の親子関係にあります。
2026-05-31 18:04:00
三位一体の主日~神の独り生まれの子イエス
本日のミサは「三位一体の主日」でした。
典礼にはヨハネによる福音(第3章16~18節)が引用されていました。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子を信じていないからである。」
シュタイナーのキリスト論によれば、「独り子」とは一人っ子のことではなく、「独り生まれの子」のことです。
つまり、処女マリアが聖霊によって身籠もって産んだ子を意味します。
イエスとは、男女の交合から生まれたのではく、独りの女性から生まれた人間である、ということです。
「三位一体の主日」とは、「父と子と聖霊」と呼ばれる三位一体の神霊存在から、聖霊の力を与ることを意味します。
その聖霊によって処女マリアは受胎し、イエスが生まれた、という神秘の事実を信じることができなければ、イエス・キリストの存在を真に信じることもできないし、また、三位一体の主日を真に信じることも不可能です。
私たちは現在、シュタイナーのキリスト論を学ぶことを通して、真の意味での「神の独り子であるイエス」を信じることが可能になります。
キエスタon-line月曜塾シュタイナーのキリスト論セミナーでは、6月からシュタイナーの『マルコ福音書講義』を探求いたします。
キリストを真に信じたい方はどうぞご参加ください。
お申込みは以下よりどうぞ。
2026-04-10 11:05:00
何故にシュタイナーばかり!?
月~土曜日の毎朝6~7時にシュタイナーの著作を探求する【朝活シュタイナー三昧】を初めて1週間が経ちました。
本日4月10日の金曜塾シュタイナーの瞑想術『四季の宇宙的イマジネーション』は第2回目でした。
そんなにシュタイナーを学ぶ事って必要なの?と思われる方もいることでしょう。
これが必要なんですね。
現代文明というのは、古代に神々から賜った叡智を粉々にして地上に散乱させてしまったような有様なのです。
現在の地上文化から叡智を習得しようとしてもなかなかに不可能なのです。
バラバラになって散乱している叡智をひとつひとつ拾い集めて丁寧に言語化してくれているのがシュタイナーです。
叡智のほんの小さなひとかけらを言語化すると、シュタイナーの数冊の著作になります。
それほどまでに、現在の言語は叡智を直裁には表現できないものなのです。
地球上に散乱してしまっている叡智を可能な限り収拾しなければなりません。
もうじき、それらの散乱叡智も別な霊的存在たちに持ち逃げされてしまいます。
「もうじき」というのは数年後か数十年後かもしれません。
「別な霊的存在」というのはもしかしたら、現在急成長ばく進中のAI存在かも、ということなのです。



