キエスタ ブログ

2026-02-17 09:42:00

中江藤樹とシュタイナー

シュタイナーが日本の中江藤樹について言及しているのは興味深いところです。
『悪について』ルドルフ・シュタイナー著/高橋巌 訳(春秋社刊行)
出典:1914年1月15日 ベルリンでの講演(GA63)より
「世界における悪の意味という大問題に何らかの仕方で答えようとする思いは、ヨーロッパ文化圏に内に留まらず、もっと広範囲に見られます。ですからここで別の例を取り上げたいのです。全く別の文化圏から出た思想家の例です。中国の思想家王陽明の弟子である日本の中江藤樹(1608〜1648年)の場合です。
 中江藤樹にとって、私たちがこの世で経験するすべては、二つの事柄 二つの本性から成り立っています。彼は一方の本性を、霊に対するように考察し、そして人間の魂をこの霊的なものに関与させているのです。この本性を彼は「理」と呼んでいます。さらに彼は人間にとって体的に現れるものにも眼を向け、そしてこの体的本性を物質から成り立っているすべてに関与させているのです。この本性はは「気」と呼ばれています。そしてすべての存在は、彼の場合、この理と気のそれぞれ固有の組み合わせから生じているのです。
 17世紀前半に活動した東洋のこの思想家にとって、理も気も不可欠な存在なのです。しかし人間の魂が理を体験しつつ気の中に沈響することで、いわば理をもって気に沈むことで、気から意志が生じ、そしてその意志から欲望が生じます。そうすると、意志と欲望に取り込まれた人間の魂は、悪の可能性をふまえて生きていかざるをえなくなるのです。
 17世紀の前半の時代に生きた東洋のこの思想家の立場は、プロティノス以来の、悪の起源についての思想、つまり物質にとらわれた人間の状態が悪の始まりである、という思想ととても近いのです。
 私たちも、あとで取り上げますように、物質にとらわれた状態の中に悪の起源を見るという立場に一度はっきり立ってみるのは、大事なことなのです。まさにこの立場は、人間文化の広範囲に及ぶ地域に現れているのですから。」p22〜25
ネットで調べると、中江藤樹の思想がヨーロッパに紹介されたのは明治時代になってからだそうです。
シュタイナーもどこかで中江藤樹の紹介文を読んだのでしょうね。
シュタイナーのことだから、中江藤樹の前世や次世も透視していたのではないでしょうか。
あるいは中江藤樹の生まれ変わりの人間が20世紀初頭のドイツに転生して、シュタイナーと直接会っていたのかもしれません。
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