キエスタ ブログ
探求の家かみあそう滞在記2月5日
【探求の家🏠かみあそう】2月5日
昨年2月1日に上麻生のお家を購入し、おかげさまで二拠点生活も一年を迎えました。お隣の金太郎さんご夫妻をはじめ、ご近所のみなさまにはいろいろお世話になり、上麻生での暮らしにも少しずつ慣れてきました😊
今日の上麻生は朝から雪❄️となりました。
私たちが14時頃に到着した頃には、太陽☀️が顔を出し、お隣のたか子さんが優しい笑顔で出迎えてくださいました🙏✨雪で浄化された空気を吸い込むと、自然と呼吸が深くなり、身体が軽くなりました。
探求の家🏠主催「生きづらさを共に乗り越えるための教育セミナー」2025年は年間を通じて、対話会とセミナーを開催します。2月8日土曜日は対話会&教育ダイアログ、9日日曜日は教育セミナーです。詳細、チラシをご覧になってください。
今回の上麻生滞在は11日火曜日までの予定です。お近くのみなさま、探求の家🏠かみあそうに、どうぞお気軽にお越しください。お待ちしております🙏✨
老年期に出逢うカルマ
人生の半ば、30歳前後で出逢う人とは、前世では親兄弟だったとシュタイナーは言います。
今世で家族だった人たちとは、前世において人生半ばで出逢った恋人や仲間だったわけです。
では老年期に出逢う人とは前世でどのような関係だったのでしょうか。
シュタイナーは『霊界から社会へ到る道』(高橋巌 訳/春秋社刊)で次のように述べています。
「その時期に出会う人たちは、たぶん前世において大切な何かを共有した人だったでしょう。または、まだ決着のついていない何かを共有していた人たちでしょう。その人たちは、前世において、私たちと何かを共有していました。人生の何らかの決定的な出来事、例えば、ひどい幻滅という試練に遭遇するような、人生おいてしばしば経験させられる出来事を共有していたのです。」p50
そのような前世の体験が、老年期で出逢った僕と洋子さんにはあったのだと直観されたことがありました。
12世紀頃のドイツの小国で十字軍遠征に参加した僕と洋子さんは、エルサレムに至ることなく途中で命からがら故郷に帰還しました。
そのときにふたりは「ひどい幻滅という試練に遭遇」したのでした。
それは、キリスト神をあれほど強烈に信じたのに聖地に到ることができなかった、という幻滅だったことでしょう。
聖地を希求するという理想を共有しながら決着できなかった前世が、ふたりにはあったのです。
このような決着を求めてふたりは今世に生まれ、老年期になってようやく出逢うことができました。
そうして今世においてふたりは、シュタイナーを学ぶことを通して、何かを決着するわけなのです。
ふたりのこと(12世紀の十字軍)
探求の家は僕と洋子さんのふたりで運営しています。
僕と洋子さんとは2019年に出逢っていますが、パートナーとなったのは2023年からです。
僕は20年ほど前に、洋子さんは10年ほど前に、それぞれ離婚しており、僕にはひとり娘、洋子さんにはひとり息子がいます。
ふたりの子どもたちはすでに独立して結婚しています。
洋子さんはカトリックの敬虔なクリスチャンで、僕は真剣なオカルティストです。
オカルティストという言葉は神秘学徒といった意味合いで使っていますが、僕自身、キリスト神霊の存在を信仰しています。
ふたりのカルマ的出逢いは3世前の12世紀頃のドイツに遡ります。
僕は王宮に仕えるエゴイスティックな魔術師として、洋子さんは真摯なキリスト教徒として、十字軍遠征に加わりました。
十字軍遠征を企てた小国の王は、エルサレム奪還という高邁な理想は建前のみで、実際はオリエントからの略奪を目論んでいました。
当の魔術師もまた、エルサレムでもっと強力な魔術を獲得しようという利己的な打算を抱いていたのです。
いっぽう真摯なキリスト教徒は、聖地でキリスト神霊に出逢いたいという真剣な信仰心を持っていました。
しかし遠征は途中で無残に頓挫し、隊員たちは散り散りになって命からがら故国へ帰還することになりました。
帰還後の魔術師は王宮での権力闘争に敗れて哀れな死に至り、真摯なキリスト教徒は遠征中の残虐な略奪を目の当たりにしたトラウマから精神的に崩れ、信仰を失って頓死しました。
そのような中で2人はどのように、来世での再会に至るための衝動を抱くことができたのでしょうか。
この続きはまたの機会にお話しましょう。
2025年のご挨拶
2025年をどのようにお迎えでしょうか。
今年は占星術的に見ると、土星と天王星と海王星が次々に星座を大移動する重要な年になるそうです。
3月に海王星が13年ぶりに牡羊座へ、5月には土星も2年3カ月ぶりに牡羊座へ、そして7月には天王星が8年ぶりに双子座へ移動します。
探求の家は今年4月に本格オープンします。
人は人生の中で何かしらを探求し続けます。
私は14歳の時にこの世の不条理を痛感し、社会の常識的範疇にはない真理を探求しようと思い起こしました。
それから半世紀余りが経ちましたが、思春期に感受した理想は今でも真理だと思っています。
その理想は落雷のように天から差し込み、私の心を貫きました。
それは「世界に一人でも不幸な人間がいたのなら自分の幸福は真の幸福ではありえない」という言葉でした。
それと同様の言葉に再び出会ったのは、それから10年後ほどにシュタイナーの著作を読んだ時でした。
それ以来私はシュタイナーの著作を読み続け、シュタイナーの遺した霊的真理を探求しています。
(石川潤一)








