キエスタ ブログ
弘明寺を巡る縁
娘が受胎した。
人間の魂は誕生前に魂界から地上を観察して自らの両親となる男女が出逢うための運命に関与するという。
僕が誕生した時、父親となる人はアメリカ軍駐留の三澤基地で、ベトナム戦争から帰還した米兵に真珠を売る仕事をしていた。そして母となる人は辺鄙な故郷を疎み都会に憧れていた。その2人は映画館の隣席で出逢い、結婚へと至った。
僕の娘が魂界から自らの両親を探していた頃、僕は映画雑誌の仕事をしていたが、30歳になった年に、社会生活を捨てて出奔しようとしていた。その時に或る女性が僕を引き留め、あれよあれよと結婚するに至った。
あの時に僕を引き留めた運命に関与したのが、その後に僕たちの間に生まれた娘だったのだ。娘の魂が関与しなければ僕は世捨て人になり、とっくにのたれ死んでいたかもしれない。
娘の魂が母親として選んだ女性は横浜の弘明寺近くを実家に持つ人だった。なおかつ、僕が18〜22歳まで交際した女性の実家も弘明寺近くであったのだ。
この弘明寺は空海を開祖とする伝説があり、十一面観音と大聖歓喜天を祀っている。僕は後に、娘が母親として選んだ女性と離婚した時に、弘明寺の大聖歓喜天に自分の将来を祈願して、その後の人生で辛酸を舐めるエライ試練をいただくことになる。
話を戻すと、僕と元妻は子どもを受精する時をしっかりと準備して実行し、娘の魂が元妻に受胎した時には、僕は確かに天空から大いなる力が流れ込んでくるように感じたものだった。
娘が誕生する時期に僕らは元妻の実家の近くに転居した。そこは、大戦中に日本軍と戦って戦死したイギリス兵たちが葬られた英連邦墓地のすぐ近くであり、また権太坂という地もすぐだった。
その権太坂に、洋子さんの両親の家があった。
話をはしょると、後々に洋子さんは弘明寺近くに職場を持つことになる。また、洋子さんの両親は離婚して、洋子さんは父親と絶縁することになるだが、その父親は最期に弘明寺の町で亡くなる。
そうして僕は42歳で離婚し、娘と二人暮らしの父子家庭になるのだが、紆余曲折して洋子さんと出逢うことになったのはその20年ほど後になる。
このように、或る土地、そしてその地に祀られる神仏存在が、生まれてくる魂と協働しながらに人間同士の縁に関与してくるわけである。
僕の娘が受胎した子どもは今年の10月に誕生予定だ。この子もたぶん、弘明寺とも縁があることだろう。
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パラレルワールドという迷妄
感覚界は物質法則が確固として支配していますが、霊的世界の法則はそうではありません。
人間には相応しくない霊界領域があるのです。
シュタイナーは以下のように警鐘しています。
「 身体は世界の調和に相応した仕方で、世界に組み込まれているので、感覚的知覚や通常の知的活動の範囲で魂が働くとき、その魂は、体が宇宙との調和を魂に託すことができるように、体に帰依している。魂が神秘的もしくは錬金術的な方向でこの体験から離れてしまうとき、体を通して獲得される宇宙との調和を失わないように、あらかじめ備えておく必要がある。
この用意を怠るならば、神秘的な道においては、宇宙との霊的関連を失うおそれがあり、錬金術的な道においては、真実と虚偽とを区別する能力を失うおそれがある。神秘家がこの用意を忘った場合、体との関連がより深まれば深まるほど、自己の意識の力が濃縮され、この自己意識に圧倒されて、自分の内部でもはや宇宙を共体験できなくなる。神秘家はこのことによって、人間にふさわしくない霊界領域へ意識して入っていくであろう(私は霊学についての著述の中で、この霊界領域を「ルツィフェル的」と名づけた)。」
ルドルフ・シュタイナー著/高橋巌訳『霊界から社会へ至る道』p205
ルツィフェル的霊界領域は、非の打ち所がないような世界として、安直なスピリチュアリストを魅了します。
その世界に入り込んでも今世では何も支障は起こらないかもしれません。
しかし来世において、その人は自己を失ったような人生を送ることになりかねません。
そのような霊界領域から地上のスピリチュアリストの魂に流れ込む概念のひとつが、パラレルワールドという迷妄です。
何故にパラレルワールドが迷妄なのかと問うことができますが、人間は論理的な概念構築をしなければ、ルツィフェルの世界から流れ込む直感の誘いを退けることはできません。
何故ならパラレルワールドはルツィフェルの創造した霊界領域に確かに存在しているからです。
その領域に入り込んでしまうと、人間の自我はその世界が迷妄だとは全く思えなくなります。
パラレルワールドで人間自我はどのようになるでしょう。
己れの意志を発揮しようとする力を失ってしまうのです。
或る状況下において、ひとつ選択肢を自分自身の意志で決断することに意味を失います。
そうすると人間は己れの意志決定に責任を持たなくなります。
人間が自らの意志で何事かを決意する時に、高次の自己は地上の自我に関与します。
己れの意志決定を放棄した人間は、高次の自己との繋がりを断ち切ることになります。
そうして人間は次の転生において、高次の自己による統合を失った自我としての人生を余儀なくされます。
高次の自己と地上の自我
高次の自己=ハイヤーセルフの働きは通常、地上の自我の意識には明るみになりません。
ハイヤーセルフは地上の自我が道徳的決断を迫られるような状況、もしくは死に瀕するような危機が身体に迫った瞬間に、自我が意識できるような強い関与をします。
その関与は啓示のように、また激しい直感のように自我に意識されます。
そもそも高次の自己にとって地上の自我とは何なのでしょうか。
神界に存在する高次の自己は、神々に浸透されているため、自己意識が希薄なのです。自分は自分であるという意識をほとんど持っていません。
自分は神そのものだ、あるいは、自分は神と同質だという意識に満ちており、神の意志に背いたり神の働きに抗ったりしません。
しかしながら地上の自我は感覚界の中で神の意志や働きを見失っているので、謂わば神の支配から自分は自由だという錯覚を抱くことができます。
そのような錯覚の中で人間は利己性を強化することが可能になります。
この利己性が地上の自我に、自己意識をもたらします。
高次の自己は、地上の自我を見守ることを通して、自己意識を獲得しようと努めているのです。
しかしながら地上の自我があまりにも利己性に堕してしまわないように、高次自我は、地上の自我に対して道徳的決断を迫るような運命的出来事を用意します。
もしくは死に瀕するような状況下で地上の自我がどのような決断を選択するかを、高次の自己は見守っています。
自律神経整体体験










