キエスタ ブログ
2025-10-12 20:00:00
思春期おける異性への神聖な憧憬
児童期から思春期へと成長する少年においては、性的欲望のないプラトニックな恋愛衝動に駆られる時期があります。けれども身体的に性器等が発達するにしたがって、性欲が身体内から湧き起こってきます。思春期当初に湧き起こるプラトニックな恋愛衝動は、古代ギリシャの哲学者プラトンが言及したエロスという愛情です。
エロスとは、現在語られている卑猥な官能性という意味では全くなく、人間が神的なもの=イデア(神的理想)を希求する愛情という意味です。ここからプラトニックラブという言葉が生まれました。
人間は健全な成長を遂げると、思春期の最初の時期に、異性に対して神聖な憧憬を覚えるのです。それが、プラトンの言及したイデアへの愛です。しかし身体の性的成熟にともなって、ルシファーの関与が強まり、異性への憧憬という純粋な感情に、官能的な衝動が注入されます。それによって、イデアへのエロス愛が、肉体感覚中心の官能的性欲へと変換されてしまうのです。
思春期にルシファーが関与すると、人間は性的欲動と同時に自由衝動を注入されます。自由でありたいという衝動を人間が抱くのは、人間自身の魂によるのではなく、ルシファーという神霊存在が人間の介入するからのです。だからこそ、自由をあまりにも強く求めて実現しようする人間は、真の自由ではなく、利己性に翻弄されるようになり、いずれ自己破綻してしまうのです。
真の自由とは、利己的なものではなく、他者と自己との両方を平等に尊重できる心境に到達したときに、初めて実現できるものです。
人間がルシファーに支配されて過剰な自由衝動、つまり利己性に突き動かされると、次にアーリマンと呼ばれる神霊存在が人間に関与するようになります。アーリマンはつまり、ルシファーによって増大された利己性に付け込んで、人間に安楽さを与えて人間を支配しようとする存在です。機械文明や物質主義、さらには電気システムや現在のインターネット・システムを人間に発明させたのはすべてアーリマンの仕業です。
そうやって私たちはルシファーとアーリマンの力に翻弄されます。この両方の神霊存在の影響を受けないようにするのは、人類にはまったく不可能なのです。人間はルシファーとアーリマンの間でバランスを取ることが必要です。
このバランスを与えてくれるのがキリスト衝動です。人類はキリスト衝動を受容することによってしか、ルシファーとアーリマンの悪影響から脱することができません。
以上が、思春期において最も重要なことです。
2025-10-01 11:11:00
シュタイナー三昧の半年間
2025-09-16 21:41:00
現在の教育に関する課題
現在の社会においては、新たな教育のあり方を確立することが、ますます急務になっています。
教育現場は半ば機能不全になっており、従来の教育理念や方針によっては子どもたちの心身の健康を育成できなくなっていることに、現場の教員たちは気づかされているにも関わらず、文科省や教育委員会が推し進めるAI教育の波が怒涛のように子どもたちを巻き込んでいます。
シュタイナー教育に取り組んでいると、その根底にある理念が、輪廻転生とカルマの法則にあることが深く理解されます。
しかし従来の教育ではそのようなオカルト的法則性は端から拒絶されます。
しかしシュタイナー思想を深く学んでいると、不登校、引きこもり、発達障害、精神障害、自殺など、現在社会の由々しき課題のすべての原因は、カルマによるものだと分かるのです。
この時点で、カルマの法則を拒絶あるいは無視していては、現在社会の課題は何も解決し得ないのだと理解して前進する人たちと、反対に現在の深刻な課題に飲み込まれざるを得ない人たちに、分断されます。
これは重大な時代的問題です。
そこでシュタイナー教育を学び続ける人たちは、カルマという法則に関与するには、人間を退化させる「悪」の法則に直面することを覚悟しなければならなくることに気づきます。
「悪」に直面するには、そのための力と認識力が必要であり、その力と認識力を獲得するためには、シュタイナーのキリスト論と医学論を学ぶことが必須だということも、自ずと理解できるはずです。
そして補完としては、私たち個々人を守護してくれている守護天使の存在も学ぶことに超したことはありません。
探求の家キエスタ塾で今年度いっぱい、つまりシュタイナー帰天100周年の2025年の1年間に、シュタイナーのキリスト論と医学論を学んだ人たちは、2026年にはカルマ論を修得することになるでしょう。
帰天して100年になるシュタイナーの霊魂が霊界で開催している霊的学院から、キエスタ塾は叡智を授けていただきます。
2025-08-16 12:41:00
一夜限りのセックス
この問題は多角的な観点から考察できます。
個々のケースで背景の事情も目的も異なるので一概に善悪の結論を出すことはできないし、ましてや共感や反感で判断することも控える必要があります。
ただ、神秘学の見地から次のように言えるでしょう。
性行為は人間にとって、動物の生殖行為とは次元が異なる課題だということです。
動物の生殖行為は目的が明確に定められています。
神もしくは宇宙の法則によって厳密に規定されていると言えます。
動物にはその法則に背く自由意志はありません。
人間は自由意志を神から贈与されています。
この自由意志によって「愛」を探求するという課題が人間の使命です。
端的に言ってしまえば、「自由な愛」を追求することだけが、こに地球上で人間が生きていく目的なのです。
そのような観点からすると、人間の性行為は、「自由な愛」を実現するための源泉、もしくは過程だと言えます。
「一夜限りのセックスは運命に影響するか?」という問いは、自らの性行為を宇宙的使命を果たすための一環だと考えられるか次第で、その返答が変わってきます。
ですがここでも神秘学の観点からこう言えます。
生殖と非生殖に関わらず、人間の性行為は、宇宙的なアストラルエネルギーを自らのエーテル体に受容する行為である、ということです。

2025-08-07 11:36:00
性愛関係が運命の転機となるとき
古来、性愛について明け透けに語り合うのは何らかの羞恥心を伴うものでしたし、ましてや性愛行為を第三者の前で公然と行なうのは禁忌行為でした。
いっぽう、人間以外の動物は生殖活動に対して羞恥を持たないし、そもそも生殖以外の性交活動をする動物はいません。
人間のみが生殖目的とは別の性交を行ないます。
古代ユダヤ民族の聖典には最初の人間アダムとイヴの「楽園追放劇」が描かれていますが、そのような罰の原因となった罪は、「善悪を知る木の実」を食べて自己意識を持ったことにありました。
楽園を追放されたアダムとイヴは他の地で子どもたちを産みますが、その際の生殖行為が罪とされたわけではありません。
性交にまつわる行為が罪とされたのは、もう少し後の時代、モーセが神より啓示された戒律「十戒」に、「姦淫の罪」を定めたことによります。
さらに後の時代、イエス・キリストは「姦淫の罪を犯した女」を許しますが、「もう罪を犯すな」とその女に命じます。
その後のキリスト教文化圏でも「姦淫」を「罪」とする文化が根強く継承します。
結婚と姦淫の違いは、結婚とは生殖を目的にした社会システムの範疇にありますが、いっぽう「姦淫」は社会システムから逸脱する個人的要件とみなされていた点にあります。
古代文明においては、婚姻という社会システムの中で生殖目的以外に行なわれる性交行為は、夫婦の間の性交も含めてすべて「姦淫」とみなされていたのです。
だからこそ売春システムや妻妾システムが暗黙の社会システムとして古代文明時代から近世時代まで容認されていたのです。
男たちは生殖目的ではない性欲を家庭に持ち込まず、家族の外で性欲を発散していました。
現代人は、生殖目的以外の性交を夫婦や恋人同士の間に当然のこととして持ち込んでいます。
これは人類の魂が進化してきてきたことの証です。
かつての人類は婚姻という社会システムの中で、性交欲望を神聖な性愛衝動に保つように、神々から守護されていました。
けれども人類は現在、生殖目的以外の性交を、家庭内や恋人関係に持ち込むことによって、その性交を自らの自我の力で神聖なものに昇華するように、神々もしくは宇宙の進化法則によって要請されているわけです。
かつての人間は神々に守護された婚姻システム内の性愛に身を委ねることによって、自らの運命を進化させることができました。
現在の私たちは、自らの自我の力によって、性愛を神聖なものに昇華しなければ、運命を進化させることが不可能になりつつあるのです。



