キエスタ ブログ

2025-10-01 11:11:00

シュタイナー三昧の半年間

今年の4月からシュタイナー関連のon-lineセミナーを、毎週月・水・金曜日の20~21時に開催し、半年間が過ぎました。

シュタイナーの著作を毎月1冊ずつ使い、引用文をパワポにまとめてPDFデータを作成し、ご参加の皆様に送信しています。

著作を再読したうえで、資料作成には半日くらいかかります。

月・水・金のon-lineセミナーのほかに、土曜や日曜にリアルのセミナーも月毎に開催してきました。

まさにシュタイナー三昧の半年間でした。

2025年はシュタイナー帰天100周年です。

あと半年間、さらにシュタイナー三昧は続きます。

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2025-09-16 21:41:00

現在の教育に関する課題

現在の社会においては、新たな教育のあり方を確立することが、ますます急務になっています。
教育現場は半ば機能不全になっており、従来の教育理念や方針によっては子どもたちの心身の健康を育成できなくなっていることに、現場の教員たちは気づかされているにも関わらず、文科省や教育委員会が推し進めるAI教育の波が怒涛のように子どもたちを巻き込んでいます。
シュタイナー教育に取り組んでいると、その根底にある理念が、輪廻転生とカルマの法則にあることが深く理解されます。
しかし従来の教育ではそのようなオカルト的法則性は端から拒絶されます。
しかしシュタイナー思想を深く学んでいると、不登校、引きこもり、発達障害、精神障害、自殺など、現在社会の由々しき課題のすべての原因は、カルマによるものだと分かるのです。
この時点で、カルマの法則を拒絶あるいは無視していては、現在社会の課題は何も解決し得ないのだと理解して前進する人たちと、反対に現在の深刻な課題に飲み込まれざるを得ない人たちに、分断されます。
これは重大な時代的問題です。
そこでシュタイナー教育を学び続ける人たちは、カルマという法則に関与するには、人間を退化させる「悪」の法則に直面することを覚悟しなければならなくることに気づきます。
「悪」に直面するには、そのための力と認識力が必要であり、その力と認識力を獲得するためには、シュタイナーのキリスト論と医学論を学ぶことが必須だということも、自ずと理解できるはずです。
そして補完としては、私たち個々人を守護してくれている守護天使の存在も学ぶことに超したことはありません。
探求の家キエスタ塾で今年度いっぱい、つまりシュタイナー帰天100周年の2025年の1年間に、シュタイナーのキリスト論と医学論を学んだ人たちは、2026年にはカルマ論を修得することになるでしょう。
帰天して100年になるシュタイナーの霊魂が霊界で開催している霊的学院から、キエスタ塾は叡智を授けていただきます。
シュタイナー教育on-line連続セミナー年間計画ポスター縦.jpg
2025-08-16 12:41:00

一夜限りのセックス

この問題は多角的な観点から考察できます。
個々のケースで背景の事情も目的も異なるので一概に善悪の結論を出すことはできないし、ましてや共感や反感で判断することも控える必要があります。
ただ、神秘学の見地から次のように言えるでしょう。
性行為は人間にとって、動物の生殖行為とは次元が異なる課題だということです。
動物の生殖行為は目的が明確に定められています。
神もしくは宇宙の法則によって厳密に規定されていると言えます。
動物にはその法則に背く自由意志はありません。
人間は自由意志を神から贈与されています。
この自由意志によって「愛」を探求するという課題が人間の使命です。
端的に言ってしまえば、「自由な愛」を追求することだけが、こに地球上で人間が生きていく目的なのです。
そのような観点からすると、人間の性行為は、「自由な愛」を実現するための源泉、もしくは過程だと言えます。
「一夜限りのセックスは運命に影響するか?」という問いは、自らの性行為を宇宙的使命を果たすための一環だと考えられるか次第で、その返答が変わってきます。
ですがここでも神秘学の観点からこう言えます。
生殖と非生殖に関わらず、人間の性行為は、宇宙的なアストラルエネルギーを自らのエーテル体に受容する行為である、ということです。
1人、テキストの画像のようです
2025-08-07 11:36:00

性愛関係が運命の転機となるとき

聖なる性と愛を探求するダイアログ会8月【運命を改変する性愛学】第1回8月8日「性愛関係が運命の転機となった体験」 .jpg

古来、性愛について明け透けに語り合うのは何らかの羞恥心を伴うものでしたし、ましてや性愛行為を第三者の前で公然と行なうのは禁忌行為でした。
いっぽう、人間以外の動物は生殖活動に対して羞恥を持たないし、そもそも生殖以外の性交活動をする動物はいません。
人間のみが生殖目的とは別の性交を行ないます。
古代ユダヤ民族の聖典には最初の人間アダムとイヴの「楽園追放劇」が描かれていますが、そのような罰の原因となった罪は、「善悪を知る木の実」を食べて自己意識を持ったことにありました。
楽園を追放されたアダムとイヴは他の地で子どもたちを産みますが、その際の生殖行為が罪とされたわけではありません。
性交にまつわる行為が罪とされたのは、もう少し後の時代、モーセが神より啓示された戒律「十戒」に、「姦淫の罪」を定めたことによります。
さらに後の時代、イエス・キリストは「姦淫の罪を犯した女」を許しますが、「もう罪を犯すな」とその女に命じます。
その後のキリスト教文化圏でも「姦淫」を「罪」とする文化が根強く継承します。
結婚と姦淫の違いは、結婚とは生殖を目的にした社会システムの範疇にありますが、いっぽう「姦淫」は社会システムから逸脱する個人的要件とみなされていた点にあります。
古代文明においては、婚姻という社会システムの中で生殖目的以外に行なわれる性交行為は、夫婦の間の性交も含めてすべて「姦淫」とみなされていたのです。
だからこそ売春システムや妻妾システムが暗黙の社会システムとして古代文明時代から近世時代まで容認されていたのです。
男たちは生殖目的ではない性欲を家庭に持ち込まず、家族の外で性欲を発散していました。
現代人は、生殖目的以外の性交を夫婦や恋人同士の間に当然のこととして持ち込んでいます。
これは人類の魂が進化してきてきたことの証です。
かつての人類は婚姻という社会システムの中で、性交欲望を神聖な性愛衝動に保つように、神々から守護されていました。
けれども人類は現在、生殖目的以外の性交を、家庭内や恋人関係に持ち込むことによって、その性交を自らの自我の力で神聖なものに昇華するように、神々もしくは宇宙の進化法則によって要請されているわけです。
かつての人間は神々に守護された婚姻システム内の性愛に身を委ねることによって、自らの運命を進化させることができました。
現在の私たちは、自らの自我の力によって、性愛を神聖なものに昇華しなければ、運命を進化させることが不可能になりつつあるのです。
2025-08-01 12:03:00

なぜ私を産んだのかという思春期の問い

人は思春期になるとアストラル体が独立するので、自らのアストラル体で外界を感受します。

アストラル体に映じる外界を通して、自我は、自らの内面も客観視しようとし、自らが地上に存在している意味と目的を問います。

この時期に人は「なぜ私を産んだのか」と親に真剣に問う場合があります。

そのような問いは非常に重要です。

この問いがその後の人生においても長期間に続く場合がありますが、この問いを親に向けている限り、その人の魂は全く成熟しません。

「親はなぜ私を産んだのか」という問いを、「なぜ私はこの親のもとに生まれたのか」という問いに上昇させることで、人の魂は進化します。

このような問いの上昇には、親の対応がとても大事になります。

 

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このような問いが親に対して思春期以降も長期間続く場合、親はまず、我が子の受胎時を振り返る必要があります。

子どもの妊娠を知った時に、親がどのように思ったか、感じたかが、その子どもが思春期になった時の問いの根底に反映しています。

受胎の時に親の魂が歓喜や至福に満ちたのならば、我が子の問いは健全に上昇します。

しかしそうではなく、失望や反感や後悔や憤りなどの感情が湧き起こったとしたら、そのような負の感情を親自身が改めて払拭しない限り、「なぜ私を産んだのか」という我が子からの責苦が続きます。

受胎の時に負の感情にまみれたとしても、我が子が思春期を迎えた今、かつての感情とは別に、大いなる覚悟を持って、我が子の存在をありのままに肯定して受容する感情を改めて自分の中に創造することは、可能です。

そしてまた、思春期を超えてもずっと「親はなぜ私を産んだのか」という問いに苛まれ続ける人が、親の覚悟を全く期待できない場合も多々あります。

そのような場合その人自身が、大いなる覚悟を持って「私はなぜこの親から生まれたのか。私はなぜこの人間を親として選んだのか」という問いを改めて真剣に抱こうと決意したならば、その人は自分で自分の魂を親の呪縛から解放し、進化させることができます。

「思春期の精神的課題」では、思春期の問題点とその克服術をご参加の皆様と探求します。

お申し込みは以下からどうぞ。

https://r.goope.jp/chiesta/reservation/event/detail/28862

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