キエスタ ブログ
2026-02-06 09:42:00
立春の想起
小学校時代からの友人の誕生日に思うこと。
小学生時代から7年×8回以上の年月が過ぎた。僕は数年前に山での遭難から生還し、その友人も2年前に自動車事故から生還した。生還後に僕はあれこれと今生の縁をそこはかとなくも終結し、7年×9回を過ぎてから再婚することができた。その縁は前々前世からの功徳もしくは祝福だと言える。(神に感謝!)
人はひとつの人生で老いていく。或る老人は認知症と診断されたが、自分自身を18歳だと思い込んでいて、鏡に映った今の自分を他人様だと思ってご丁寧に挨拶する。それはそれで幸せな終活期間だ。僕自身も今の自分を、肉体は確実に老いているけれども、内面では思春期のように感じている。
シュタイナーによれば、肉体は経年劣化して行っても、健康体であればエーテル体(生命エネルギー)は年と共に若返って行くということだ。自分の内面を思春期のように感じるのは、あの当時と同様の夢と希望を抱くことができているからだ。理想に関しては思春期以上に明澄になってなっている。アストラル体(心魂体)は希望と理想をしっかりと抱いている限り老いも劣化もせずに、来世に向けていっそうに若返っていく。
そうして生命と心魂が赤子のように進化したときに、今生での肉体を脱ぎ捨てて、心魂が霊界へと復活する。それがキリスト・イエスが言った「心を入れ替えて幼な子のようにならなければ、天国には決して入れない」(マタイによる福音書18章3節)の意味だと思う。そうそう、小学校時代の友人は幼少期からクリスチャンで、再婚した妻は思春期に自ら洗礼を受けたクリスチャンである。そして僕はカトリック教会で洗礼をうけたわけではないれども、20代半ばからキリスト神霊の信仰者だ。