キエスタ ブログ
2025-08-07 11:36:00
性愛関係が運命の転機となるとき
古来、性愛について明け透けに語り合うのは何らかの羞恥心を伴うものでしたし、ましてや性愛行為を第三者の前で公然と行なうのは禁忌行為でした。
いっぽう、人間以外の動物は生殖活動に対して羞恥を持たないし、そもそも生殖以外の性交活動をする動物はいません。
人間のみが生殖目的とは別の性交を行ないます。
古代ユダヤ民族の聖典には最初の人間アダムとイヴの「楽園追放劇」が描かれていますが、そのような罰の原因となった罪は、「善悪を知る木の実」を食べて自己意識を持ったことにありました。
楽園を追放されたアダムとイヴは他の地で子どもたちを産みますが、その際の生殖行為が罪とされたわけではありません。
性交にまつわる行為が罪とされたのは、もう少し後の時代、モーセが神より啓示された戒律「十戒」に、「姦淫の罪」を定めたことによります。
さらに後の時代、イエス・キリストは「姦淫の罪を犯した女」を許しますが、「もう罪を犯すな」とその女に命じます。
その後のキリスト教文化圏でも「姦淫」を「罪」とする文化が根強く継承します。
結婚と姦淫の違いは、結婚とは生殖を目的にした社会システムの範疇にありますが、いっぽう「姦淫」は社会システムから逸脱する個人的要件とみなされていた点にあります。
古代文明においては、婚姻という社会システムの中で生殖目的以外に行なわれる性交行為は、夫婦の間の性交も含めてすべて「姦淫」とみなされていたのです。
だからこそ売春システムや妻妾システムが暗黙の社会システムとして古代文明時代から近世時代まで容認されていたのです。
男たちは生殖目的ではない性欲を家庭に持ち込まず、家族の外で性欲を発散していました。
現代人は、生殖目的以外の性交を夫婦や恋人同士の間に当然のこととして持ち込んでいます。
これは人類の魂が進化してきてきたことの証です。
かつての人類は婚姻という社会システムの中で、性交欲望を神聖な性愛衝動に保つように、神々から守護されていました。
けれども人類は現在、生殖目的以外の性交を、家庭内や恋人関係に持ち込むことによって、その性交を自らの自我の力で神聖なものに昇華するように、神々もしくは宇宙の進化法則によって要請されているわけです。
かつての人間は神々に守護された婚姻システム内の性愛に身を委ねることによって、自らの運命を進化させることができました。
現在の私たちは、自らの自我の力によって、性愛を神聖なものに昇華しなければ、運命を進化させることが不可能になりつつあるのです。
